自転車で帰省した話(11日目)

10月27日。

今日は姫路からついに岡山へってことで、前日からわりとしっかりとした計画を立てていた。今までしっかりとした計画を立てていなかったのかといえばそういうわけでもないんだれど、だんだん慣れてきたっていうのもあるのだろう、2号179号県道725号で2号戻って揖保川渡って相生まで、そこからは250号で、みたいな、久々にバイパス回避計画の情熱を胸に秘め寝て起きて10時半くらいに姫路発。

ともかく、相生まではまずまず快調だった。膝は相変わらず痛いけれど、尻の痛みと同様にもはや日常の一部になっていたし、そんな上りがあるわけでもない。太子町っておいそうかモロに聖徳太子の太子なのかと考えるくらい余裕。いくらか道路を乗り換えるので迷ってしまわないだろうかという前日の不安もなんのその、といった感じ。20kmを1時間くらいで来られた。

でもって相生まで来てここから国道250号へ抜ける……んだけど、ここで道に迷ってしまう。まさかここで迷うとは予想していなかった。詳しく説明しようとすればGoogleMapsと顔つき合わせる必要があるのでしませんけれども、高取峠(相生市赤穂市の市境)を越える250号とは線路を挟んで反対側を進んでしまい、気付いたときにはその先で線路を渡る道もないようで、そこらへんを歩いていたおっさんに道を聞いたらけっこう逆向きに進まなきゃいけないらしいとの話。うわあ面倒臭いと思いながらも渋々戻ったのだけれど、その戻る先をさらに間違えて、250号ではなく旧街道の非舗装路へと続く道に入ってしまう。どうしたものか短気になっていたもので、もういいや地図見るかぎりじゃこちらも道繋ってるっぽいし狭い路肩を怯えながら上るよりも獣道みたいなところを押して上ったほうがマシだろという言い訳にもなっていない言い訳をして進む。ガッタガッタして苦労しながらなんでこんなことしてるんだろうと思いながらも今更引き返すわけにもいかずなんとか高取峠を越えるところで250号に合流。やっぱり狭い路肩を窮屈な思いをしながら、しかし今度は勢いよく下ることができた。そいでもって千種川沿いを行き播州赤穂駅横のすき屋で昼飯にしたときには13時前。予想外のところで手間取った感じがする。

飯を食い終わり再びひょこひょこと国道250号を進む。ここまで来れば長かった兵庫県もあと少し、あきらかに県境となっているとみえる小高い(たいしたことなさそうな)峠を目の前にして、もはや漕いで上がる根性もなくなってはいたけれど(膝痛いしさあ!)、それでも「ついに岡山県か!」と気持ちが逸る。そうしてまさに県境、停まって、岡山の青空を見上げ、「俺は帰ってきたぞ!」と叫んだ。いや、ほんとに声に出して叫んだ。でもまだ帰ってきたわけではないんだよ。


そこからいかにも港街といった風情の日生を(カキオコ食いたいけどさっき昼飯食ったばかりだし時間もったいないなあと考えながら)過ぎ岡山市に向かって走る。備前市の後半は相変わらず(というかこの日はずっとそうなんだけど)路肩の狭い片側一車線ではあるものの、交通量についてはそれほど多くはなく、それでも通る車通る車トラックだった。結論としてはなんだかんだで走りにくかった、くらいの記憶しかないです。風景はほんと田舎道といった風情でござった。なんか「走りづらかった」ばかり言ってるような気がするけれど、たぶん走りやすい道のほうが少ないんだもの!仕方ないじゃないですか!

吉井川を渡って岡山市に入ったのが15時半くらい。相変わらずの路肩の狭さに加えて交通量が増えてきたのに辟易しつつも、もはや消化試合みたいな気分にもなってきていたはず。だってもう、ここまで来たら勝ったも同然でしょう目的地たる岡山駅まで20km切ってるしとやる気があるんだかないんだか益々もって無感動に進む。いやほんとは稲刈りで藁を積んでる風景などに感じ入らないこともなかったのだけど、すくなくとも自転車を漕ぐということに関してはもうずいぶん前からどんな気持ちも僕のなかに起こすことはなくなっていたわけで。……いや、そんな話はまたまとめエントリで書きます。

といったわけで岡山駅に着いたのは16時半くらい、85kmの道のりでした。


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面倒なのでついでに最終日のことも書いてしまいます。10月28日。私の実家は岡山からさらに数十km行かなきゃいけない、つまり帰省はもう一日だけ続くことになるのですが、先ほども申し上げたとおり、その道のりについてはだんだん無感動に、そしてだんだん記憶が薄れていっております。したがってもうこの最終日というものはここに書き記すようななにものも残っておらんのです。

いや、全くないことはない。たとえば幼少のころから何度も何度も親の車に乗って通った岡山への道を逆向きにトレースした印象とか、それと並行する見慣れたJRの駅々を眺めた印象だとか、狭い二車線で路肩がなくて歩道ももちろんなくて「死亡事故多発!」とかいう看板はほんとやめてほしいってこととか、小さい頃はあんなに広かった実家のある集落を自転車で通ってみるとなんだかすごく狭く感じたこととか、そしてなによりも、もういいよね私頑張ったよねもうゴールしてもいいよね状態だったのにいざ実家まで手の届く距離になり見覚えのある景色や地名を目にするようになってくるにつれカエリタクナイカエリタクナイっていう声が頭ん中で踊りはじめて向かい風が強くなってくることとか、そういうことはあるにはある、あるんだけれども、それはもはや、ここまでとは違ってまったく輝かしい思い出ではない、今こうして考えてみると、それまではいくらか、輝かしいなにものかであったような気がする、のだけれど、それなのに、その道がついに実家に続いていることに気がつくこの一日のことを思い出してみると、いったいこれはなんだったんだ、そういう気持ちが否定できなくなってきて、従ってこの記録はここで唐突に終わる。