まあそれなりに映画とか見ておりまして.ここ最近見た3本は,映画をたいして見ない僕でも(全部ではないにしろ)一通り見たことのある監督の作品ばかり.
というわけで何かしら書いてみようと思うのです.いくらかネタバレぽいことを書いているかもしれないので気になる方は注意してください.
はい,というわけでタランティーノ.本来は「グラインドハウス」ひとまとまりで見るものではあるらしいのですが,そこはまあ,ね.
まず,この映画は大まかにわけて前半と後半に分かれているのだけれど,そのどちらにしろほとんどがストーリー*1とは全く関係のないビッチな無駄話であるということに注意すべし.アメリカの田舎ってどこもほんとにこんな感じなのだろうか.
前半について言うならば,バタフライ役のヴァネッサ・フェルリトがどんどんかわいくなってゆくのはいったい何の魔法なんでしょうかということくらい.1時間後にようやく血しぶきをあげるそれだけのためだけにこんなにも引っ張ったのだと思っただけでムハムハな気分にならずにはいられない.
で,後半.男子ならば興奮せずにはいられないカーチェイスが展開されていくのだけれど,正義とか大義名分とかあったもんじゃないところが爽快きわまりない.かたや性欲のため,かたやその復讐のためだけであって,ここまで気持ちが軽いカーチェイスなんてちょっとほかでは見られない.男前すぎるスタントマンたち.
ほんとにもう,単純に面白いものだけを詰め込みましたといった趣で,それ「だけ」でこんなに楽しめる映画を作ってしまえるのはそりゃあもう才能としか言いようがありませんぜ.
しかし「怒りの葡萄」には笑った.
*1:あってないようなもんではありますが
おつぎはコーエン兄弟.つい先日,中途半端に暇ができてしまった日のこと.なんと2年半ぶりくらいに映画館で映画を見ようと思い立ち,そこで選んだのがこの映画でした.クレヨンしんちゃん見ても良かったんだけどもね.さすがに久々に映画館で見るのがそれじゃかっこわるいかな〜なんて邪念が働いてこちらを見たのです.でも,結果的にこれを選んでよかった.
人を殺すということが生活の一部になってるような不条理極まりない男(だからもちろん罪悪感なんてないぜ)がおりまして,その男を追ったりその男に追われたりする,というのが大まかなあらすじになるのかな.
はじめは単純な逃亡劇としてドキドキハラハラ楽しんでいたわけですが,それがあっけない結末を迎えたあとになってようやく「なんか変だぞ」とか思い始めるハメになりました.
そうして結局何を考えたのかといえば,ギンギン*1に鋭い映像を使って映し出されるのは,すべて彼ら登場人物それぞれの持つ美学というか生き方というか価値観のようなものであるということ.この映画で描かれているのはそれらがどんなふうに出会いどんな結果を迎えたのかという,ただそれだけなんだということ,です.これはまさにその美学のための映画なんじゃないのか*2.
だからこそこんな後味悪い展開だと感じながらもずっしりとした重い何かにねじ伏せられた気分になってしまうのかなあ.とか.
ラストシーンについてはまあ,ゆっくり噛みしめるように考えてみようかと思っています.
でもってキューブリック.とかく相変わらず完璧な,隙のない映画を作る人だというのがまず一番の印象.色彩感だとか,あの軋むような高音が流れてくるタイミングとかいろいろね.
キングの原作がどうあれ,この映画の中で描かれるのはほとんどすべて「子供の空想」とか「狂気の引き起こす幻覚」みたいな言葉で済ますこともできるものにすぎないところがミソかなあ,なんて思った*1.これはおなじキューブリックの「アイズ・ワイド・シャット」にも言えることで,どちらにしても非現実的なこと(オカルトだったり秘密結社みたいなものだったり)がさもありなんと描かれるのだがそのくせ何一つ決定的なものは現れず,すべて主人公の/それを見る僕たちの頭の中で空想だけが膨らんでいき,結局のところ解決しないままそれらの空想を裏切るように日常に戻っていく*2.そういったところに狂おしいような,そんな魅力を感じた.
ただしこれが「ほとんどすべて」であることにも同時に注意したい.これは僕が最後まで引っかかっていたことでもあるのだけれど,幻覚で済ますことのできないできごとがおそらくたった一つだけこの映画の中にはある.それが「ジャックが閉じ込められた食物庫から逃げ出す」というもの.これだけは「ホテルの邪悪な意志」意外に説明のしようがない.制作者がそれに気づかなかったなんてことがあるわけもなく,とうぜん意識的にやっているのだろうが,これはいったいどういうことなんだろうか.
・・・もしかして,僕の変な勘違いなのかな!?誰か教えてください!