わたくし率 イン 歯ー、 または世界 - 川上未映子

「わたし」「わたくし」「私」という三項についてどう考えたか,というのはとりあえず置いておいて,言葉について考えたこと.

わたくし率 イン 歯ー、または世界

町田康を筆頭にこういう文体をつかう人というのは今ではけっこう多く見られるので,そのことじたいに驚いたなんてことはそりゃあ,ございませんでしたが,それよりもはっきりと意識されたのは,かならずしも論理的な言葉の運びがより多くを伝えられるわけではないということについて.ここで重要なのは,同じだけの文字の量を使うとして,結果論理的にどころかそもそも日本語として破綻しているほうに軍配が上がりうるということなのです.言語の経済性といえばよいのですか.ちがいますね.比喩というものの豊饒さの話かとも思ったのですが,もちろんそれも含みつつ,それだけではありません.

電話も四角いし、カルテも四角いし、制服も、ボタンもメモも花瓶も四角く、天井もパソコンの画面も棚もほとんどが四角であることを数えながら、くるくると丸め続けてるこの綿球の、四角から丸へと逃れている最中を、私が責任を持って遂行します。*1

「四角から丸へと逃れている最中を、私が責任を持って遂行します。」って,それは文法的にこそ合っているものの、日本語としては成り立たないでしょう.カットアップじゃねえんだから.
と,でもね,これがしかしその前の文脈といっしょになって頭の中にはいりこんだとき,これはたしかに意味としては通らないのはやはり変わらなくとも,なんかもっとこう,言葉にしがたいようなものとして成り立ってくれるわけです.


そこでまず実際の意識の流れはどうなっているのか,すなわち,意識そのものはある程度の秩序をもって流れているのかそうでないのか,読み終わってからしばらくの間考えてみたのですが,僕の訓練が足りないせいか文法的にまったく正しくそして意味の通る形でしか*2その意識を捉えることができませんでした.つまりそういった脱意味的なことばの流れこそが意識の流れにより近いのではないかと考えたわけなのですが,その実験そのものを行うことが僕にはできないということしか分からなかったということになります.意識の流れがそのまま言語化できるものでないことはいつもこうやって文章を書いている上で感じる確かなことのはずなのですが,ここで問題にしているのはそれをこんなふうに無理くりにでも言語化した場合のお話なんです.
というか正直こんなことはローレンス・スターンの昔から言葉を扱うプロな方々の間でずっと研究され続けてきたことではあるに違いありません.が,そこは僕の勉強がひどく不足しているがために,そういった人たちがどのようにそれに答えてきたのかということについてはほとんど無知なのであります.*3


仕方ないから次に思い出したことは,これってたしか吉本隆明が「言語にとっての美とはなにか」*4 *5で言ってたなあ,ということです.
定本 言語にとって美とはなにか〈1〉 (角川ソフィア文庫)

この*6ばあいにつきあたっている喩のもんだいは、おそらく、意味の考察でぶつかったものとおなじで、言語が極度に自己表出をつらぬこうとして使われているため、指示表出としての関係をたどることができないほど、言語の対他面がよじれることを意味している。像または意味的な喩が成り立つためには、感覚的な意識が、言語表出に場所を、いわば空間性をあたえなければならないのだが、言語はこのばあい指示表出の統一をなくして自己表出としてだけ統御されているため、空間としての構成をあたえられないとかんがえられる。
(中略)
もちろん、こういう表現は、自己表出としての言語を、表出の意識自体が空間化できないような奥の、薄明のようなところからひきだしていることで成り立っている。像としても意味としても対他性を欠いているが、その欠落は自己表出のほうへ飴のようにのびているのだ。*7

ええと結局,この本の中での用語で言えば,そういう破綻したことばの流れというものは「意味」でない「価値」と呼ぶものをより豊かに持つことが可能になっているからなのかなあ,とか思ったわけです.


tokanantoka


しかしこうやって書いてみるとぜんぜん当たり前のことしか考えていないということに気づいて絶望した!

ともかくこうやって本日書いてみたことなんて関係なくなんだかいいな,と思えたのでいつもどおり皆様にもお奨めいたす次第です.

*1:川上未映子,わたくし率 イン 歯ー、 または世界,p38

*2:えらい自信ですね

*3:なので,誰か優しい方,参考図書などあればお教えくださいませ.

*4:上巻だけ読んで満足した

*5:これってまあ40年くらい前の本ですから,この2008年において考えてみるとちょっと物足りない部分もあるけれど,それでもすばらしく面白かったです

*6:清岡卓行「セルロイドの矩形でみる夢」について

*7:吉本隆明,定本 言語にとって美とはなにか I,p156