オリエンタリズムの倫理と好事家の精神

でもって,どうやら最近は「ダメな建築」だとかそういった,アカデミズムからは評価されないものたちが逆にもてはやされる風潮にあるようです.僕もみんなも大好きな団地だってそうだ.僕にとってはどうしても愛らしいものという気持ちを捨てきれない,あの放置自転車たちだってそうだ.あのにっくき「ケンチクカ」たちの嫌うものたちが.

そうした「正当な」建築と「ダメな」建築とのジレンマを経て,いつかは揺り戻し(正当なものへの回帰)があるのかもしれない,止揚があるのかもしれない.・・・そもそもそんな二項対立なんて問題じゃないのかもしれない.・・・が,そんなことはともかく,この風潮は,僕にとっては喜ばしいことではあるはずなのです.


が,しかし.それと同時に.

こういった「ダメな建築」たちをある種のオリエンタリズムを通じて消費していないか?という不安からどうしても逃れられません.

ディレッタンティズムに陥るのが悪いだなんて言う気はありません.僕だってそういうものは大好きなのです.・・・でも,みんながみんなそれでよいとはとても思えない.そのバランス感覚を持っている人が,いったいどれだけいるのだろうか?自分自身もそれを持たなければならないはずなのだけれど,ほんとうに大丈夫なのか?なんて不安が.