『文体の舵をとれ』練習問題(1)「文はうきうきと」問1

一段落〜一ページで、声に出して読むための語り〈ナラティヴ〉の文を書いてみよう。その際、オノマトペ、頭韻、繰り返し表現、リズムの効果、造語や自作の名称、方言など、ひびきとして効果があるものは何でも好きに使っていい――ただし脚韻や韻律(meter、定形のリズムやビート)は使用不可。

 二学期も間近に迫ったある日のこと。蝉の声響く二階の子供部屋で、わたくしは学習机に向かっておりました。机上にはいまにもかめはめ派を打たんとする悟空、そこに重ねらるるは「夏休みの貫徹」「夏にスキルアップ!」「エンジン・サマー」あれやこれやそれや。いったいなにをしているかって? むろん宿題に立ち向かって、いや座り向かっておったわけ。あまりの物量、数の暴力。もう完遂は諦めた。それでも着手のふりはしておけ。それこそ我らが担任田中五郎への礼儀というもの。そんな決意をうちに秘め、教材を広げているがこのわたくし。

 さて広げたはよいものの、わたくしはそこではたと立ち止まって、いや座り止まっておりました。腕が机に貼り付いて、椅子の座面に尻も蒸れる。なにを隠そう、優先順位づけがきわめて苦手なことこそ、わたくしに唯一の欠点であったから。わしゃプライオリティがわからん。この大量の課題に宿題、いったいどこから手をつけるべきや。ちゅうかもういさぎようまったくやらんほうがよかないか。いやいや決意がね。世間体ってやつが。やんぬるかな。余人にはボケっと冴えないにきび顔としかうつらんかもしれぬ。しかし心ある者がしかと観察してみれば、そこに苦悶苦闘のようすを見てとれようというもの。

 そんな永遠の夏でさえ、ドシダタタと階段を踏む足音に破られるのが世の常というものでございます。現れたるは母千賀子。無聊をかこつ息子が部屋でひとり怪しからんことをしておるかもしれん、凡夫であれば必定抱くそのような恐れなど、微塵も感じられぬ勢いである。我が母ながら賛嘆すべき胆力よ。しかして発せらるるは、戸外の蝉をビクつかせるほどの大音声。剛志、ちいと豚肉を買うてきてくれんか、晩はしゃぶしゃぶにするけえ、剛志も好きじゃろう、ほら、ついでに五百円おまけしちゃるから。

 これがまさか、あの新たな永遠の旅路、そのきっかけとなろうとは。お天道さまさえ見通すことは叶わなかったでございましょう。