半年くらいやってみても案外ネタ切れせんもんで、書いて整理してみたいこと、まだまだあるっぽいのよな。正直もうちょっと早くネタ切れするもんだと思ってた。ぱっと思い浮かんだのを挙げておく。
- 誤差を完全に押さえ込まずどう付き合うかってのが工学の醍醐味みたいなところあるよなって勝手な思い込みの話とか
- 話のマクラを考えてつけたすのが苦手なので話のマクラの墓場に行ったらひとりで泣いてる小さな話のマクラを拾った思い出話とか
- こないだ古栗せんせの本に大口叩いたんだからもうちょっとさすがに……と思って『修辞的表現論』とか読んで、それから『言語の本質』(売れとるらしいね)読んだりとか、そんなふうにさきごろからの認知科学マイブームにちょっとずつ餌を与えていたつもりが、いまなぜか『ブランダム:推論主義の哲学』を読んでるのは、「推論だな〜」みたいな気持ちになったからですという話とか(もともとプラグマティズムの文脈で興味あっただけで、たぶんそこまで関係ないんじゃないだろうか)
- 虚航船団〜ゼウスガーデン〜少女庭国でのマクロな偽歴史の書き方とそしてけっきょくミクロなエピソードがついてこざるをえない業の話とか
- こないだちょっと長めに書こうと思ってうまくいかなかった小話のスケルトンとか
- ビデオゲームについて喋るときに濫用されがちな謎の言葉一覧みたいなのもほしい。ナラティブとか自由度とかゲーム性とか。ジャンル名まで触れだすと収集つかなくなりそうだな
あとなんだろ、それはそれとして、読んでほしいひとに読まれていないかもしれないという感じはどうしてもあって、そこはちょっともどかしいのであった(もちろん一方で読んでくれてる人には読んでもらえているというのもわかってはいて、そこはありがたいのだけど)。Twitterのほうがもうちょっと安心感があった気がする。いや、短文読んでもろてもなというところはそりゃあるんだけど、あるていど人の力を借りて考えを深めるということが、やっぱそういうSNSのほうができていた感じはしてしまう。そこがないとどん詰まっていかないかという。
みんながやっていることがぜんぜん見えなくなったからというのはあるはず。はるか昔にはトラックバック文化みたいなのがあってそういうのもできてたんだろうけど、その部分をSNSにとられちゃったことで、ひきこもろうとする力が働いちゃうようになってるでしょ。そういうのがやっぱし、ブログだけじゃきついわねと思うところではあるよな。
それでも、はじめからわかっていたことではあるし、もうちょっと痩せ我慢続けてみようとも思うんだけども……リストアップするだけで満足して終わりになるみたいなのがオチとしてはきれいやったかもわからんね。