2023-06-13

白川『ブランダム:推論主義の哲学』読んでて、全体的に気持ちがめちゃくちゃよくわかるというか、使用説の発想に添って語用論を先行させること、そのうえでの認知的な観点との親和性ににとどまらず、結局自分は(どうしてそうなったのかはわからないのだけど)根っからのプラグマティスト気質(ここでいちおう「俗っぽい用法ではない意味での」とことわっておきたい気持ちがある)があるっぽいっていう、ミサック『プラグマティズムの歩き方』を読んだときと同じような感想を持ちつつ、とはいえどうしても推論一辺倒でやることには抵抗を感じるというか、表象主義的な意味論って足場はやっぱ大事なんじゃない?っていうのはもう一面で思っている。めちゃくちゃ雑な言い方をするなら意味論の多元主義と言ってもいいのかもしれないけれど、論理の多元主義をとるときに古典論理をある程度標準的なものとして認めることと類比して、表象主義的な意味論をある種の標準として認めていいのではくらいの気持ちがあるっぽい(本書のなかにあるよう、ブランダムもそのくらいのところから始めた方が穏健だよと認めてるらしい通りであるが)。もちろんそういった「標準」は多分に偶有的な原因によるものいうか、発生的な理由に基づくものでしかなかろうとはいえ。

で、だから!いまこうやってひとりで黙々と書いてる不安もこのへんの「すりあわせ」ができないことにあるのかもしれない、くらいに飛躍してしまうところがあり、だからおもろいと勝手に感じてしまってるところもあるんだろうなとか。

この理解おかしくない?大丈夫?(虚空に向かって)