そもそものはじまりはかつてわたしであったものいつかわたしでありうるものと口論しているのを見てほんとうのわたしであるところの私がそれを止めにここへやって来たことだ。

「君はかつてわたしであったものであって現在わたしであるというわけではあるまい、ということは本当のわたしではないよ」と、かつてわたしであったものが言うと「君こそいつかわたしでありうるものということは、いま現在わたしではないということだろう、つまり私こそがほんとうのわたしだ」と、いつかわたしでありうるものが答えている。馬鹿らしいとは思ったが、しかたがないから私は「そんなことを言ったって君たち二人のどちらだっていまこの瞬間にわたしではないのだから、どちらもわたしではあるまい。現在わたしであるのはただ一人このほんとうのわたしだけだろう」となだめてみたというわけだ。しかしそれがいけなかった。

それを受けて、かつてわたしであったものが「君はこの瞬間にわたしであると言っているけれど、私にしてみれば君も、そこのいつかわたしでありうるものも、この先わたしになるかどうかもわからない胡散臭いものに思えるがね」と言ったものだから話がややこしくなってきて、いつかわたしでありうるものも「それを言えば君たちはどちらも昔わたしであっただけで、今はどうなのか怪しいものだね」と応じる。さらにややこしいことに、そこへわたし(のようなもの)が現れる。

わたし(のようなもの)はたしかにわたしであるように思えなくもないのだけれど、輪郭も声もうすぼんやりしていて、どうもはっきりしない。それはかつてわたしであったものにとってもいつかわたしでありうるものにとっても同様のようで、二人とも怪訝な顔をして黙りこんでいる。

わたし(のようなもの)の言うことには「君たちのように時間に拘泥しているからいけないんだ。私のようにそんなもの取り払って純粋に概念上のわたしになってしまえばまったく問題なかろう」ということだそうだ。もちろんほんとうのわたしであるところの私は抗弁する。「それではわたしであるとは言えないのではないだろうか。ここに、現にわたしとして存在するからこそわたしであると言えるのであって、君のようなものがわたしであるというのなら、人魚だって麒麟だって、そこに在るということになってしまうのではないか」私は少々混乱しながらそう答える、あまり自信がない。

そこにいつかわたしでありうるものが横槍を入れる。「わたしは君たちにあるもの全てを包括しているのだから、私こそがほんとうのわたしであるはずじゃないか」しかし、かつてわたしであったものは「君たちはみなこの私がいなければ存在できないものなのだから、やはり私こそがほんとうのわたしであるべきではないだろうか」と答え、さらにわたし(のようなもの)は「それはわたしだって同じだろう」と。いやそんなことはない。しかしわたしは。いやでも。喧々囂々。

もう面倒だと思い、ほんとうのわたしであるところの私は三人に尋ねる。「ところで君たちのペニスは勃起するかい?」
三人は同時に答える「「「勃起するよ」」」
果たして真相が分かった。やはり私こそがほんとうのわたしだ。私のペニスは勃起しない。


ところで、いつかわたしでありうるものも勃起するのだという。私はすこし希望を持ってもいいのだなと安心してその場を去った。