ハックルベリーに会いに行け

よろしい、はてなから撤退すべきブロガーに彼は数えられない、私は確実に、確実に、彼から更新を行う勇気を得た、そのことを隠しだてするつもりはない、だから僕ははっきり言葉にすべきだと思った、それこそが彼の、あのエントリの反証になるであろう。

もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら

ガツンと言ってやるよ。『小説の読み方の教科書』、そこにあるべき第一の言葉は、「言葉では伝えられないこと」とは「著者にとって都合のいい補完」ではない。それが結論だ。いいでしょう、いいでしょう、私は読みました、読みましたよ*1。だから言ってやらなきゃならない、賛成も反対もしないのならば、それは「都合よく補完」、そうだ、賛成だと、補完してやればいいって、そう言っちゃう欺瞞を、はっきり指摘せねばならない。ハッハーン、そうか、あなたはあれだけ「ハックルベリイ・フィン」を読んで、そうか、そうか、そうか、僕はちょっと怒っています、怒るべきだと思う、あれだけ読んで、そういう結論に達してしまったと?ハックは神様についてのあの言葉たちを、語った者にとっての都合良い形で解釈したのか?ちがうだろう、地獄へ行くと分かってあいつは、俺たちの兄弟は、ジムを逃がしたんだろう?それを信じるってのはな、違うんだよ、きちんと自分で考えた上でな、選びとるんだよ、恥だって地獄だって覚悟してな。それは養育者たちの語った神様にとって都合のいい解釈だったか?違うだろう。あれは決してキリストとの完全な訣別を語ったものではない、むしろそこに通底すべき、本質を抉り取ったんだ、だから、だからアメリカ文学なんだろう?

もう一度言おう、「言葉では伝えられないこと」とは、「著者にとって都合のいい補完」ではないんだ。それは、けっして。そこまで言うのならば、評すべきとき、それは須くバックグラウンドを知っていなければならないと言い切ってしまったほうが何倍も誠実だ。僕はかつて、あなたがドラッカーに出会ったときの「救い」を知った、インタビュー読んだからね☆、だけどな、だけどな、ちがうんだよ、それをマジョリティに求めるのは間違っている。そんな物好きがどこにいる?ダブルミリオンを達成した上でそれさえ伝わる層がどこにいる?ああ、分かったよ、僕はそれを理解した、ただ、それはマジョリティではない。分かれよそれくらい。すべての物語者たちが苦闘しているまさにその決戦場において、そんなことを言うだなんて、ああ、馬鹿にしやがって。それを正しく伝えたいのなら、込めろよ、それこそが啓示であったと、まさに問題になっているその箇所に、どんな形でもいい、書けよ。

ハハッ、書かないほうがいいだって?だったらマネージャーは死なない。だったら殺せよ、あのテレビアニメを。そうじゃないか?残念ですね、読みとってくれたマジョリティは、あれを、マネージャーが死ぬ話だと思っていますよ。しかも話の都合で死ぬ、とね。そういう世の中なんですね。生きづらいですね、とくにあなたや私にとっては。生きづらい世の中ですね。誰もあなたや私のことなんて気にしていません、孤独なんですよ。それさえも聞こえのいい言葉。そうだ、そうだよ、想像力に、これでも目が覚めませんか?だとすれば、あなたはほんとうに、ハックルベリーに、今すぐにでも、会いに行ったほうがいい。最後にトムが登場したあのときの気持ちを、もういちど確認し対比すべきだ。それを見分けられないならば、エースの系譜も絶えたも同然ではないか?それが小説の読み方ではないか?言葉では伝えられないことを、ほんとうに伝えたいと思うなら。磨け、真摯になれ、精神論でいい、もういいです、それしかあなたに伝える方法はないから。

パシューと音がして、僕の情熱は消失した。

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