『文体の舵をとれ』練習問題(7)「視点(POV)」問一

400〜700文字の短い語りになりそうな状況を思い描くこと。なんでも好きなものでいいが、〈複数の人間が何かをしている〉ことが必要だ(複数というのは三人以上であり、四人以上だと便利である)。

出来事は必ずしも大事でなくてよい(別にそうしても構わない)。

ただし、スーパーマーケットでカートがぶつかるだけにしても、机を囲んで家族の役割分担について口げんかが起こるにしても、ささいな街なかのアクシデントにしても、なにかしらが 起こる 必要がある。

今回のPOV用練習問題では、会話文をほとんど(あるいはまったく)使わないようにすること。登場人物が話していると、その会話でPOVが裏に隠れてしまい、練習問題のねらいである声の掘り下げができなくなってしまう。


問一:ふたつの声

①単独のPOVでその短い物語を語ること。視点人物は出来事の関係者で——老人、こども、ネコ、なんでもいい。三人称限定視点を用いよう。

午後四時のコンビニに客は少なく、雑誌を立ち読む男がひとりだけ、いつも通りならあと半時は動くまい、来たる夕食どきに備えて品出しを一段落させたユウジは、続いてなにを片付けるべきやと思案しいしいレジへと戻る。戻って、立ち、見れば、自動ドアの向こうに少女がひとり首をかしげている。センサが反応しないらしい。立ち往生とみえる。察したユウジはドアへと近づく。ひとりでに開く。おそるおそる入ってきたワンピースの少女は、ユウジに向いて立ち止まる。反射的にいらっしゃいませと音声したユウジは子供が好きだ。少女は震えていたが、ユウジにそう見えたというだけのことかもしれない。ユウジは子供が好きだから、どうしたのと声をかける。かけたところで立ち読んでいた男が動き出す。半時は動くまいと踏んでいた男に、お前こそどうしたんだよ、と思うや、少女はおつかいに来たのだとユウジに告げる。牛乳を買いに来たのだと。なるほど。だから、あそこだよ、と、ユウジは指差してみせる。少女はどこか楽になったと見え、膝を高くに歩きはじめる。もちろん、付いていってやるというのは、それは、やりすぎであろう。それに店員として男を待たねばならない。ユウジは思案しいしいレジへと戻る。戻って、待つ。パック飲料の棚はレジからも見渡せる。少女はプライベートブランドの牛乳を眇めている。しっかりしたものだ。いや、そっちは低脂肪乳だ。そう、そう、それだよ。選ぶことに満足したらしい少女はおっかなびっくり牛乳パックを抱え、レジへと歩きだす。ユウジはため息をつく。安堵して、男が居ると思しきを見れば、いつも通りのチューハイを片手に、つまみを片手に、やはりこちらもレジへと歩いてくる。あぶない、とユウジは反射する。なぜって、ちょうど二人がかち合うと見えたからだ。けれど、そうはならなかった。歩を早めた男が先着だ。ぶつかるだろうが、大人気ねえ、そう思ったユウジではあったが、もちろんおくびにも出さない。いつも通りにレジを打つ。先手をとられた少女を横目に、なぜって少女が気がかりだったから、いつも通りならレジ袋は不要だと考え考え、先手をとられた少女を横目に見ながら、なぜって乱暴な大人に横入りされたなんて気落ちしているのではと気がかりだったから、ユウジは少女を横目に見ながら、男の差し出す金を受け取る。そんなユウジの心配をよそに、少女はレジ前の通路に並ぶポケモンのグミを物色している。グミを買うだけのお金は持ってきているのか、それになにより、牛乳を床に置くのはやめたほうがいい、そうやってユウジがまた別の心配をはじめるころ、男はすでに影もない。

②別の関係者ひとりのPOVで、 その物語を語り直すこと 。用いるのは再び、三人称限定視点だ。

タケルは焦っていた。誰がどう考えたってコンビニで立ち読みなぞしている場合ではないのだから。社長室とは名ばかりの会社の倉庫、タケルはそこに鎮座する古びた金庫から、滞納した家賃の足しにするためと、締めて三十万を持ち出した。会社では小心者で通るタケルがそんな大それたことをするなんて、誰ひとりだって思うまい。タケルは実際小心者だ。だから、タケル自身にだって信じられなかった。けれど、タケルの羽織るジャケットの内ポケットには裸の札束があった。いくらもあったうちのたった三十万だ。締め日までは誰も改めないに決まっている。それでも三十万だ。タケルは胸にその厚みを感じる。用心するに越したことはない。さっさと逃げるに如くはない。どうせ逃げるなら家賃の足しにする必要なぞないはずで、そんなことは誰にだってわかるはずだが、いまのタケルが気付くはずもない。これでまずは家賃を払うのだとコンビニへやってきて、それなのに少年漫画誌を立ち読みしている。タケルは焦っていたのだ。焦っていることは自分でも分かっていたから、どうにか落ち着くことが肝心と考えた。タケルにしては良い考えと言える。なにごとも形からだ。ルーティンだ。誰だって知っている。だからそれを証立てするように、タケルは少年漫画誌を立ち読みしているのだった。今日はマガジンの発売日だ。グランドジャンプの発売日でもある。いつも通りであれば、タケルはまず、そのふたつを読みきる。それから檸檬堂とつまみを買って、未払いの積み重なった部屋へと帰る。今日だってそれができるくらいには冷静であると、それをするからこそ冷静になれるのだと、タケルは思い込もうとしている。もちろん、誰がどう考えたって、あのタケルがそんなことで落ち着けるはずもない。飛ばし飛ばしに読んでいるマガジンは、三十分経って、それでもまだ半分だ。はじめの一歩が頭に入らない。と、店員がタケルのほうにやってくる。いつものタケルなら、そんなことに気がつかない程度には読みふけっているところだ。だが、今日のタケルであればすぐに気づいてしまう。もちろん、なにかがバレだなんて、そんなことがあろうはずもない。そんなことは誰にだってわかる。入り口に子供がいて、店員はそれに気がつき、やってきた。それだけのことだ。けれども、それを横目にしたとたん、タケルの心中に、なんとなしに厭な気持ちが起こった。厭な気持ちはすぐに具体的な言葉に結ばれる。もうやめたほうがいい。タケルは突然そう思う。誰もが知るとおり、啓示というのは突然であるからこそ啓示たりうる。もうやめたほうがいい。タケルは声に従う。マガジンを棚に戻す。わかった、これが最後だ。例の子供に目もくれず、飲料水の棚へ向かって、檸檬堂を一本、それから今日選んだのはカルパスだ。タケルはこれを最後にするつもりだ。飲んだら、飲んだ勢いで、金を返しに行く。タケルは歩みを早める。景気づけの日にはいつもカルパスだ。レジへと向かう。もう決めたことだ。会計を済ませる。ただ、最後に酒を飲むことくらい。踵を返す、と、子供の横顔が目に入る。子供は駄菓子を物色している。小学生のときに好きだったタカセに似ている、だからかもしれない、そうタケルは気付いて、足早にコンビニを後にする。だからなんだというのか、誰だってそう思うにちがいない。