読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ゼロ年代SF傑作選 - SFマガジン編集部

さいきん日本の短編SFアンソロジーをちょいちょい読みながら、その魅力にすっかりハマってしまいましてね……今日はそのあたりの紹介をしてみようとっています。
アンソロジーつって、どんなのがあるかと言いますと、ハヤカワの「ゼロ年代SF傑作選」、創元社の「年刊日本SF傑作選」シリーズ、河出書房の「NOVA」シリーズあたりでしょうか*1。で、今日は第一弾としてハヤカワの「ゼロ年代SF傑作選」*2についてすこしだけ書いてみようと思います。*3

ゼロ年代SF傑作選 (ハヤカワ文庫 JA エ 2-1) (ハヤカワ文庫JA)

そんなわけで、以下掲載順に、個別の感想。

冲方丁マルドゥック・スクランブル "104"」

マルドゥックシリーズは面白いらしいと聞きながら、すみません、未読なのですが、そんな僕でも非常に面白く読めたこの短編。
ガジェットやアクション、ところどころ見せるバカバカしさ、そして何より、いかにもアメリカンな会話。そういうすべてにハリウッドのSF映画っぽさが詰めこまれており、読んでいてすごく気持ちいい。それでいてこの短いなかに兵器に対するジレンマみたいなものを組み込んでたり、すげえ「上手い」んですよ。爽快!

新城カズマ「アンジー・クレーマーにさよならを」

二つの挿話(女子高生SF/スパルタの興亡)が交互に語られる構成となっています。ガジェットは電脳コイルと近からず遠からず、といったイメージ。その上もちろん女子高生ですから、ある意味それ以上にクリティカルに切り込む。
そしてスパルタの部分はボルヘス「もうひとつの過去」の本歌取り、ただしそのアイデアだけでなく、二つの挿話を合わせた全体の構成そのものもボルヘスを彷彿とさせる。そしてそれぞれに違う「書き換え」、(それはかたや歴史でありかたや個人史であり)というテーマのもと、これは共通の「共同体ってなんですか?」という問い掛けにまで持っていかれます。わたしたちきっと、未来をつくることから解放された最初で最後の世代になりましょうね。

桜坂洋「エキストラ・ラウンド」

主人公は都落ちしたネトゲ中毒のひきこもり。そのネトゲ内での事件を、キャラクターとして解決していくうちに…というお話です。仮想と現実でのアイデンティティの違いの処理に悩んでいる、ないしは面倒な気持ちを持っている人なんてたくさんいる(はず)*4、そういう人たちは、いったいどうすればいいのだろうか、そんなものが描かれたりします。
そりゃあね、主人公が辿りつく答え(のようなもの)から導かれるこの結末なんて、ほんの奇跡にすぎないのかもしれません。それでも、たとえそれが希望的観測であったとしても、ひとつの有り得る道筋のようなものを見せてくれるのです。

元長柾木「デイドリーム、鳥のように」

まずもって(読んでもらわんと分からんと思いますが)後半の展開には正直かなりびっくりさせられてしまいました。「ソーシャルデバッガ」なる職業のお話。
まあ、それはそうとして…端的に言ってしまうと、コミュニケーションへのある種の不信感を、プレイヤーの側からでなく、NPC(あるいは製作者?)の側から書いてるようなイメージじゃないかと思いました。プレイヤーはあくまで無意識に操作「させられてしまう」のです。もちろん実際のコミュニケーションは、互いに操作者であり、かつ画面に映っている側でもあります。だったら、すれ違いが起こらない、はずがないでしょう!

西島大介「Atmosphere」

6pのまんが。短いからってのもあるけど、ドッペルゲンガー(もう一人の自分!)を通じて、かなり直接的に「空気」だとかそれによって成り立つ社会みたいなものが表わされているように思いました。
西島さんっぽい!

海猫沢めろん「アリスの心臓」

相変わらず組版/デザインが凝ってる人だなあ。
内容としては、なんだろう、円城塔のBoy's Surface(そう、ボーイ・ミーツ・ガールなんですよ!)あたりをもっともっとトンデモにして、もっともっと可愛いくしたイメージ、つまり、(もちろんいい意味で)すごく恥ずかしい短編でした。
わりと卑近なところにも、うまく言葉で言い表せないあれこれがあるじゃないですか。あれをどうすんの、っていうのを、無茶苦茶な平行世界や無茶苦茶な次元のコンパクト化を通じて、それでも言葉に近づけていくときに、この人のとる組版との組み合わせっていうのはある種必然だったのかな、などと考えたりもしました。
これからの季節、蝉の声を「聞き」ながら読みたい短編。

長谷敏司「地には豊穣」

いまはまだ身体感覚に根付く「文化」ってのが、それが間違いなく希薄になっているであろう(すこし遠い)未来に一体どうなっているのかを考えるには、SFって形式がいちばんですよね!…ってことでこの短編。
脳に直接体験を埋め込む装置(つまり、「文化」も含めたくさんのものをフラットにしてしまう装置だ)の開発途上における主人公のジレンマを通じて、上述のテーマが描かれます。先にも述べたとおり、ぼく自身はフラット化の流れからは逃れられないのだろうなと(なかば悲観的に、なかば希望を持って)考えたりしているのですが、失われるものに留まらない、そこに必要となる「覚悟」があるのだと気づかされました。
クライマックスはほんとうに綺麗で、全体を通しても、本書のなかではいちばん好きなお話かもしれません。

秋山端人「おれはミサイル」

意識を持った戦闘機そのものが主人公となっている短編。ブラックボックスから意識が生まれる(ように見える)ってのはそれこそサイバーパンクなんだけど、そこにあるのは空と機械だけ、人間もいなければネットワークもない。地上を知らず、空という世界がすべて。
戦闘機とミサイル、これらはそれぞれの目的のもとに生まれた(生み出された)機械であり、だからこそ、それぞれの生き方と死に方があり、それぞれの悲哀と決意があります。そういう意味では、人間ではない、機械でしか描けなかったお話なんだと、ぼくは思うのです。


そんな感じ。ぼくはたいへん満足しました。ぜひ。

*1:どうもここ数年日本のSF界隈はやけに盛り上がっているみたいですね。後者二つのシリーズについては近いうちに続刊も出るようです

*2:ちなみにこれ、ほとんどがSFマガジン掲載作品なのですが、選ばれた著者の多くがエロゲライター出身だったりラノベ作家だったりするのも面白いです。

*3:で、書き終わってみて、藤田直哉の紹介文にちょっと引きずられてしまった部分もあるなと思いました。まあ…そっちを立ち読みででも読めば十分かもしれませんね…ちくしょう…

*4:こんな日記を読みに来ているあなたならきっと分かってくれるはずですよね!…っていうか前にも似たようなこと言ってた気がします