エンジン・サマー - ジョン・クロウリー

最近長ったらしい感想ばかり書いていたので、今回は手短に。
エンジン・サマー (扶桑社ミステリー)

人間の体験というのはどうしたって完全には別の人間のなかに再生できないし、僕たちはときに、それをしようともがく。ではもしそれができたとしたら、いったいどうなるのか、その体験じたいが十人十色の受け取り方をされるはずで……と、そういったことがテーマのひとつとなっていたお話だったように思います。


で、これをすこし自分のほうに引き寄せて考えてしまうと。

本を読むこと、そして、その本について語り合ったり、その本についての感想を読んだりすることは、おそらくは、限りなくこの体験の反射に近いものなのではないでしょうか。本を読むことじたいが登場人物(や、語り手)の体験の再生であり、本の感想を読むことがそれぞれの読者の体験(それは、やっぱり十人十色なはずなのです)の再生であり、それを僕じしんが受け取りまた反射させ(つまりこうして感想を書いたりして)、それを繰り返していくことこそが、もしかしたら、まさにクリスタルの切子面に反射し屈折される光の運動と相似しているのではないか、と。

じっさい訳者解説で大森さんも触れているとおり、物語の象徴にあふれ、ある意味ではジーン・ウルフの「デス博士の島」のよう、人間の体験と、物語、そしてそれはブログでもあるのですよ!と僕は言ってしまいたいわけですが、そういうものに触れるのが好きで好きでたまらない人には、どうしてもお薦めせずにはいられない本でした。


ともあれ、成長物語だったり(喪失を抱えた)恋物語だったり、人類の黄昏を描いたSFだったり(だから、「人類は衰退しました」とか好きな人にはお薦めできるんじゃないでしょうか)、そういうものとしてもすごく面白いし、やっぱSFって懐が広いなあと思いました。