Night in the Woods

しかもさあ、あたしがこんなさあ、ダメ人間になっちゃってんのって あたしのせいなんかじゃねーんだかんなあ!

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ちいさいころ、ぼくはおじいちゃん子だった。

ぼくが幼稚園から帰ると、おじいちゃんはいつも相撲か時代劇をテレビで見ていた。ぼくはそれをそばで眺める(とくにおもしろくはない)。そんでもって、いい時間になったらばおじいちゃんは風呂を焚く。ぼくはそれをそばで眺める(これはわりとおもしろい)。杉の枯れ葉で焚き付けて、木の棒をぽいぽい入れていく。

そんなとき、おじいちゃんがよく言っていた。

「おめえもわしみたいにならにゃあいかん、ちゃあんと金を貯めてな、ここらへんで家を建てて」

個人的には「そうかな?」と思っていたけれど、あえておじいちゃんの機嫌を損ねることもなかろう、ふむふむそうですなあという顔をするのだった。なんたってぼくはおじいちゃん子で、ものわかりのよい孫だったからだ。実際、おじいちゃんはなかなかやるもんだと、今も思う。

それで得心がいったのか、おじいちゃんはまた黙り、火かき棒で灰をかき出す作業に戻る。もちろんそうじゃなく、つい言葉が溢れてしまったらしいときもあった──あったけれど、どんなことを言っていたっけ、ほとんど忘れてしまったな。いや、それでもひとつだけ覚えていることがある。そのとき、おじいちゃんはこう続けたのだった。

「じゃけどの、そうもいかんときもあるかもしれん。そげなときゃあな、Night in the Woodsをやりゃええ」

松の枯れ葉がパチパチとはぜる。炎のゆらめきがおじいちゃんの横顔を照らす。ぼくはそのとき、はじめてNight in the Woodsを薦められたのだ。

ぼくのいた中学校には、ぼく自身が通っていた小学校を含め、近隣の3つの小学校を出た生徒が集まっていた(その小学校も中学校も、今はもうない)。小学校のひと学年は10人ちょっとほどだったから、気が合うだの合わないだのといった贅沢を言うこともできず、みんなとそこそこに付き合っていた。けれど、いざ中学校、3つ集まればひと学年で40人近く、2クラスにもなる! そうすると、「なるほど、気が合う友達とそうでない友達というのがいるのだな」ということがしぜんとわかってくるものだ。

となりの小学校から上がってきたなかに、いつもぬぼーっとしているFくんという子がいた。ぬぼーっとして、のっぽだった。きっかけはなんだったか忘れてしまったけれど、すぐに仲が良くなったぼくとFくんは、放課後にぼくの家で遊ぶようになった。ぼくの家のほうが学校に近いんでね。

初代プレイステーションの末期、まだぎりプレイステーション2未発売のあのころ、Fくんはいろいろなプレステのゲームを持ってきては貸してくれた、いっしょにやったりもした。かわいい女の子が出てくるゲームが多かったな(だったらセガサターンではと今となっては思うのだけど、ぼくの家にはなかった。Fくんは持っていたのだろうか)。なぜか特に印象に残っているのがエリーのアトリエで、貸してもらったそれを家でやるのがなんだか恥ずかしかったことを覚えている。エリーのアトリエ程度で!

貸してくれないまでも、いろいろなゲームを薦めてくれもした──薦めてくれたのだけど、どんなゲームを薦めてくれたのだっけ、ほとんど忘れてしまったな。いや、それでもひとつだけ覚えていることがある。もう暗くなったから帰るというF君が最後に付け加えた一言。

「あとそーだ、Night in the Woodsってのがあってな、グフフ、ありゃやらんとおえん。俺は持ってないけどな。近所の兄ちゃんがこっそり貸してくれたんよ。もうあの兄ちゃんもおらんけど。まあどっか探してみ」

それから1年も経たないうちに、Fくんは学校に来なくなった。放課後にしか会うことがなかったし、携帯電話もなく、連絡先も知らなかったから、すぐに疎遠になり、会うこともなくなった。ほんとうに仲が良かったのだろうか? 気にもとめなくなってしまった。

高校生になってからそのころの同級生に聞いたところによると、Fくんの家はあれからすぐに親が離婚して、母と息子でしばらく二人暮らしをしていたという。ただ、知っているのはそこまでで、今はどこにいるかもわからないということだった。

それから大学生になった(高校生のころはあまり思い出したくない)。一人暮らしの初日に大学のまわりをぶらついてたらエロ本がまんさいの書店を見つけてもちろん買って、「これが一人暮らしというものか!」というのが京都の第一印象だ。勉強もいろいろあったが、その一方、ぼくはジャズ研みたいなところに入ってトランペットを吹いていた(ひどく下手くそだった)。その仲間たちとともに、飲みに行くなどのことはひととおりやった。つまりそれなりに楽しんでいたと言ってよいと思う。市内の平地部分の路地を隈無く自転車で回った。あのころはまだ河原町丸善があった(今また復活している)。鴨川デルタで缶ビールをダバダバ流し込むとかそういうのもやった。いや、どっちかというと四条大橋の下とかのほうがダバダバ流し込むことが多かったような気がする。

ダバダバ流し込むときにどんな話をしたのだっけ。書生気質! 人生の話などしたにちがいない──ちがいないけれど、ほとんど忘れてしまったな。いや、それでもひとつだけ覚えていることがある。総人で心理学やるんだつって岩手のほうから出てきたY君が言うことに。

「おめーも地元がやんなって出てきたクチっぽいけどな、そりゃ今はええけども、こん先もうまくいくかわからへんで。うちの兄ちゃんは結局戻りよってな、んでこないだ実家帰ったらNight in the Woodsやっとった。おれはそうはならん」

むりやり関西弁喋ろうとしているのがまるわかりやないけ。

で、なんだかんだあって、大学院にと東京へ出て、まあいろいろあって辞めちゃって、花屋でバイトとかして、そのうち就職が決まったからいったん実家にでも帰るかってんで帰ったことがある。そのあたりの話はこのブログにも書きました。自転車で帰ったんですね。帰ってみると、地元の街(ってほどの街はない)は妙に狭い。ぼくが広い世界を見てきたから? 違う。単にすいすい走る自転車に乗っているからだ。しかしこの歳で自転車になぞ乗っている奴はいない。みんな自分の軽自動車を持っている。

そんなことを考えながら、うちはちょっと坂の上にあるからってんで、自動車ならば楽なのにと、自転車を押し押し坂を上る。Y村さんちが見える。リフォーム中だ。屋根に上がって作業してるのは──あれは小中で同級だったIくんではなかろうか。

「ありゃ、帰ってきたんか? てことは、Night in the Woodsやったん?」

やってない。やってないけれど、そんなものに聞く耳は持たんぞ、俺は持たん。

だからぼくはまた東京に戻り、カイシャではたらき──もう何年になった? 故郷のことも忘れたんじゃなかろうか? だから、だからこそ、そろそろNight in the Woodsと向き合うときではなかろうか。


──以上が、ぼくがNight in the Woodsをプレイした経緯だ。キミもやろう。

まともなレビューについては以下などを参照のこと。