心射方位図の赤道で待ってる - ねじれ双角錐群

今日はあなたに直接的なメッセージを届けようと思います。文学フリマ出展の告知です。告知と聞いてタブを閉じようとしたそこのお前! お前に言ってるんだよ! 3分だけ読め! 3分のうち以下の告知ページをざっと眺めるために1分30秒を費やせ!

https://nejiresoukakusuigun-kamimachi.tumblr.com/

費やしてくださってありがとうございます。残り1分30秒ですね。表紙かっこいいよな。あと1分25秒くらいでしょうか。主宰いつもありがとう。1分20秒。本書のテーマは「神待ち」です。「神待ち」と聞いていかがわしい想像をしたあなた、正解です。「神待ち」と聞いて、ベケットを思い浮かべたあなた、あなたも正解です。まだ1分あるかな。みなさんが「神待ち」と聞いて思い浮かべたもの、すべて正解です。思い浮かばなかった人、なんで思い付かなかったか、明日まで考えといてください。そしたらなにかが見えてくるはずです。なぜなら、「神待ち」という3文字がSFに出会い、起こることのすべてがここに射影されているからです。極を接点とした心射方位図において、赤道は無限遠をとりまいています。あと40秒で以下の全作紹介を読んでください。一作品あたり5秒で読めば間に合う。あなたの速読力が試されます。

✊「神の裁きと訣別するため」 murashit

箇条書きで語り尽くせる着想を散文によって展開するのは、労のみ多くて功少ない狂気の沙汰である。よりましな方法は、あらゆる事象を項目として書き出して、並列に差し出すことだ。より論理的で、より無能で、より怠惰な筆者は、じゃんけんにかんする完全でしかし短いリストを書く道をえらんだ。

拙作。タイトルは置いといて(勝手に使ってごめんねアルちん……)、ボルヘスから引いてきやがってと侮るな、いや気持ちはわかるけど、お願いだから侮らないでください、だって「箇条書きで語り尽くせる着想を散文によって展開するのは、労のみ多くて功少ない狂気の沙汰である」というのは嘘偽りのない100パーセントの本気なんです。箇条書きってこんだけ普及したある種の強みのあるスタイルなのに、小説にはほとんど使われていない気がするんです。2ちゃんねるなどのSSはやや近いはずだが……。

🗻「山の神さん」 笹帽子

家出少女の神籬菜々は、神待ちアプリの暴走によりタイムリープし、大正時代の高校生・広瀬とマッチングしてしまう。下宿の部屋に泊めてもらうことなどできるはずもなく、代わりに広瀬と共に高みを目指す神籬だったが、背後には家出少女の時空補導を狙う魔の手が迫っていた!

いいですか? 時代は姉SFです。あなたはもちろん、すでにそのことをご存じですよね? よろしい。タイトルどおり、山に登る話です。山に登るとき、わたしたちの身体にいったいなにが起きるのでしょうか。身体を「機械のように」動かす意識が発生します。SFっぽくなってきたな。舞台は旧制第四高等学校。それに準じた文体で綴られる……といえば、私のような笹帽子ファンはいつもの軽妙さはどうなるのかと不安を感じるかもしれません。心配御無用、すべてが噛み合います。軽やかさをいかに導入すべきか、それは常に困難なことでありつづけました。ここでその答えの一端が読めます。

🔮「囚獄啓き」 小林 貫

地獄とは、とあなたは思索する。死、罪と罰、終わりのない苦しみ……あるいは閻魔。取り留めのないイメージが交錯する。あなたが創り出す「地獄」へと続く道は無関心で舗装されている。念入りに、決して剥がれ落ちることのないよう幾重にもそれを塗り固めるあなたの姿は否応無しに物狂おしく、また少しだけ滑稽でもある。

地獄とは、人工的な責め苦とは、すなわち刑罰のことです。人間が社会生活を送るようになってからこのかた、刑罰には長い長い歴史があります。しかし、枯れているわけでもありません。現代においてさえ、ときおり喧喧諤諤の議論が聞こえてきたりこなかったりするものです。SFの醍醐味にはさまざまあります。現在にはなく、しかしそこにつながる未来にはある「当たり前」を仮構することによって、現在における問題を浮かび上がらせる……というのはそういった醍醐味のひとつと言えるでしょう。近未来の刑罰と愛を扱う本作品でそれを目撃してくれよな!

🦌「杞憂」 鴻上 怜

北米先住民族の少年杞憂は老呪術師焼き脛の命を受け、機能を喪いつつある〈ポアソンの分霊獣〉の夢へ潜る危険な〈ビジョンクエスト〉を決行する。純情報空間キウィタスで働く女子工学情報生命体の棗と茘枝は、客として訪れた杞憂と出会い彼の秘密へと迫るが……

綿密な考証に裏付けられ、この分量に対してヘビーな設定のうえに立つハードコアなSF(これは上述したのとはまた別のSFの醍醐味を持っているということです)なんですが……これ、ネタバレにならないように魅力を紹介するのがむずかしいんですよね。「設定」という、下手をすればつまらない説明に終始してしまう厄介なかたまりを、いかに魅力的に展開していくか。勘のいいあなたは上記の紹介文からなにか感じとれるかもしれませんが、たぶんそれ以上です。マジでそれ以上なんだよな。ふたつの側面がともにビジュアル的におもしろく、ついに融合するという、そんな愉悦をここでアレしてくれ。

🍄「キノコジュース」 国戸 素子

俺は美少女魔法使いルシエが大好きな冒険者。大剣を振るって金を稼ぎ、いつかルシエに告白するんだ。でも最近、村のみんなの様子がおかしい。さらにルシエにも不穏な行動を見つけてしまう。村はどうなる?そして恋の行方は?俺は美少女魔法使いルシエが大好きな冒険者。いつかルシエに告白するんだ。

めちゃくちゃ好きなんだよな。ナンセンスというものは、文章では間がもたないものだと浅はかなぼくは考えていました。そう、ぼくは浅はかでした。理路のつながらなさを、ゲーム的な世界観、そして苦しむ顔がかわいい女を好きな思い込みの激しい主人公とで成り立たせている。それを支える数々の紋切り型。ひとつの紋切り型をバカにするのはたやすいけれど、それが怒涛のように押し寄せたときにいかにバカにすべきか? 本来つながらないものが不条理につながってゆき、笑いながらもめちゃくちゃ腹の立つ感動でしめくくられる。いやもう、ぼくはこれ、こういう文章が書きたいんだよな……。

🦀「蟹と待ち合わせ」 cydonianbanana

あたかも青く、青という言葉が失われてなお青みがかったような月下の海で、僕たちは今日も漂着物を探して歩く。人類が肉体を失う過渡期を生きる俺たちの日常と、私たちの《普通》。一人称複数の語りが重奏する、百年後のあたしたちによる克明な記録。

まったくただしいポストヒューマンSFです。あらわれた3つめのSFの醍醐味。まずそれを言っておきたい。そして、ポストヒューマンの生態を一人称で述べることはとてもむずかしい。本作はその困難な課題に挑戦している。紹介文にあるとおり、本作品においてそれが顕著にあらわれるのは、一人称「複数」であることによります。三人称とのちがいはなんだろうかな。語りかけられることにより、説得力が増すというのはあると思うんだよな。そうやっていつのまにか彼らの思考になじんだころに現れるオチ。だけれども、これはあくまで夏のバカンス、さわやかに乾いた空気を感じながら読んでくれよな!

🐢「ブロックバスター」 津浦 津浦

ひたすらに大きくなっていく放浪大亀/大亀の帰還を待つものども/ものどもの王/その世界にあったもの/その世界にないもの/その世界の外にあるもの/どこにもないもの/どこかにあるもの/生きている私たち。

ひたすら文章がかっこいいなと感じるんだけど(これは上述の「キノコジュース」と対照的である気がする)、これはなんでなんだろうな。たとえば、小説における「列挙」というのは読者に対して一定の効果を与えるための常套手段なのですが、これをうまくいかせるためには、一定の共通点のもとでなるべく射程を広げることが肝要である。その「射程の広さ」という点をとってみても、自分にはちょっと手のとどきそうにない地平が見えているなという感想をもってしまう。そうやってつい細部にだけ注目したくなるのですが、そこここの呼応関係も見物で……見物で……ぜひ読んでこのように言葉を失ってください。

ここでちょうどあと5秒ってとこかな? 第29回文学フリマ東京ク-39に、神は訪れるのか……真相は君の目で確かめてくれ! あと、本記事を何秒で読んだかをSNSで共有してください。ついでにほかの箇条書き小説情報もどしどしお寄せください。


以下、主宰および同人のみなさんの紹介記事です。そう、ロスタイムだ。