2023-02-01

考えごとや気がかりで頭がいっぱいになっているとき、「頭のなかの空気圧を抜く」1みたいなことをしがち。頭がいっぱいになることそれ自体は常にわるいことでもないはずだけど、気を休めたいこともしばしばだから。そんな場面はきっと誰にでもあって、それぞれの方法で「空気圧を抜く」をやっているはずだ。自分のばあいは、目をつむって、ある種のイメージを思い浮かべることが多い。のび太が家の庭でやらされているような草むしり2をしてみたり、傘もないまま豪雨に打たれてみたり。それこそ「風船の空気を抜く」みたく簡便なイメージであることも、まあある。

そんななかでもいちばんのお気に入りは「沖仲仕が船から積荷を運び出している」イメージだ3。いつかのどこか、20世紀初頭のニューヨークあたりだろうか。20世紀初頭のニューヨークのことなぞほとんど知らないから、船の形とか港の様子とかも漠然としている。というかこの時代も港湾都市ってことでいいんだっけ。ともかく、褪せてぼんやりしたモノクロの記録映像に、ちょこまかと、あるいは力強く動きまわり、おれの頭んなかの重い積荷を運び出す沖仲仕たち。そのなかに、ジムというひとりの少年がいる。アイルランド系で、祖父の代に新大陸に渡ってきたらしい。いまは昼飯に持ってきたサンドイッチを食んでいる。当時の沖仲仕たちはほんとにそんなふうに昼飯をとってたんだろうか? 午後からまた、誰が誰に送るつもりかもわからない、ジムの人生にはこの一点だけでしか関わってこない荷物を担ぐ仕事が始まる。今日は仕事にありつけたけれど、明日はどうだろうか。最近叔父の羽振りがいいようで、どんな悪どいことをやっているのかは知らないが、そちらに泣きついてみるのもいいかもしれない。いや、ほんとにそんなふうだったのか? 偏見の塊じゃないだろうか。

そうそう、もう5年ほど前のことになるのだけれど、ジムの曾孫だという男に会ったことがある。取引先の担当者で、仕事の打ち合わせが終わったあと、会議室からエレベーターに向かう廊下で突然、「わたしのひいおじいさんはあなたの頭のなかのニューヨークで働いてたんですよ」と告げた彼。まごついて、「そうなんですね、存じ上げませんでした」みたいな筋違いの返答をした。だってすぐにエレベーター来ちゃったし、次の打ち合わせまで時間なかったし。「いつもお世話になっています」くらいは言っておけばよかったと、いまでもたまに思い出す。というか、頭がいっぱいになって沖仲仕たちのことを思い浮かべるたびに、つい考えてしまう。そんなことだからけっきょく気が休まったりもしてくれず、とはいえジムのことは好きだから、まあいいかとも思う。


  1. 読み返してるときに気付いたが、「圧を抜く」は日本語としておかしいな。直しませんが……。
  2. ああいうのを実際にやったことのある奴ってどのくらいいるんだろう。公園の草むしりみたいなのは学校行事で経験があるが、家の庭については、ないんだよな。
  3. 沖仲仕」という言葉が好きなんだろうと思う。おきなかし。そのままの読みなのに、ふつうそう読めないよな……。