『The Poetics of Science Fiction』の第7章でゼラズニイ「十二月の鍵」が採り上げられていて1、そういえばすっかり忘れとるなとこないだあらためて読んだんだけど、「おれやっぱゼラズニイの文体きっらいやな〜」と思ったんですよね2。そしてそれからなんだか何度も反芻することになってしまい、そのつど第7章のメモのほうにそのへんの気持ちを加筆してしまっていたんだけど、いやそれはもう本のメモちゃうねんな。だからここに書く。たぶんきっと浅倉/峯岸訳がというわけではない……いやないではないかもしれんけど、それだけじゃなかろう。というかそう、実はね、そもそもはじめて読んだときも、きっちいなと思って「伝道の書に捧げる薔薇」まで読んでやめたんだよな。だからおれの知ってるゼラズニイは短編数個でしかなく、そりゃあ不当な謗りってもんだろうというのはまーじでそのとおりで反論できないわけだが、それにしたってなあ……。いや上手いんよ。上手いんだけどさあ……。だいたいそれを言ったら、そもそもおれはな、文章が上手いやつが嫌いだ(なぜならおれが文章がへたくそだから)。それはいい。あと、上手いにもいろいろある。ゼラズニイ(の浅倉/峯岸訳)のそれはある種の流暢さであって、気取った感じのいけすかなさではある。あるんだけど、それもいい。そのへんは内容にも合っとるというか、これちゃんとメロドラマやろうとしてそれに合ったやつを使ってる感があっていいよね。いいんだけど、それにしたってこの器用さがあってやることがこれなんか? それこそたとえば「十二月の鍵」とかさあ。ちゃんとあの星の荒涼さとかうまく出とるよね。出とるんやけど、あの終盤の、あのドンパチのやる気のなさはなんなんだよ……。それは内容の話か。まあでもだからあれかな、文体そのものが苦手っていうより、ようもこんな流暢に書けるのに内容がこれかよ、もっとできるっしょ、みたいな苛立ちだったりする? そうかもしれないね。小器用に見えすぎるというか。もうちょっとずらしてきてくれんか? なんかやっぱ腹立つわあ〜。