2024-03-04

「継続」の偉大さについて考えるわけですよ。「齢を重ねるごとに、なにかを続けていくことの困難さ、そしてそれに打ち克っての達成というものがつねにあることが身に沁みる」だなんてのは、なんのおもしろみもねえよく聞く話ではあるんですが、じっさいきっとそのとおりではあって、その説教臭さからひるがえり、もっと若いときにその偉大さの偉大さをしんから覚えることができたのだろうかと考えたとき、すくなくとも自分にとっては難しかったんじゃなかろうか。教訓とよばれるようなきわめて抽象性の高いものはおしなべてそんなもんで、だからそういう説教臭い話というのはいつの時代も繰り返されるわけなんですが(だから今後も生きてりゃいろいろつまらん発見が出てくるんでしょうが)、自分がもっと若いときにそれにほんとに得心いくような状況が作れるとしたら、それってどんな状況なんだろね。信頼がある師から時間をかけて説得されるような状況? でもそんなもん、わっかりたくもねえよな! そんなこと言ってるやつを信頼できる師だと思えるかどうか非常にあやしい。だからまあ、若いときの自分については諦めるとして、それがしんじつ偉大であるとげんに考えている自分についてもいったんそれでいいことにして(そうでもないと思うようになったらそうでもないということでいいだろう)、これまでやってきたことはまあ続けられるぶんだけ続けつつ、これから始めることは続けたり続けなかったりするとええと思うで。