2023-08-09

昼飯をどうしようかなと思っていたところで、ゲリラ豪雨ではない、ざばざばいう、それでもどことなく慎みのあるにわか雨が降りはじめて、外に出るのも面倒なので昼休みのあいだに思い出話でも書くかなと思ったわけです。おそらくTwitterでも書いたことがあるはずなのですが、「いたたまれない、きまずい」といえばどうしても連想してしまうできごとというのが自分にはあります。それについて書きます。

わたしの実家はもともと祖父が建てたものでそれなりに年季が入っており、その孫(おれや)が生まれ小学生になるくらいのころまではずっと、台所が土間だったんですね。もちろんかまどで飯を炊いていたとかそういうわけではないのですが、それでもずっとそんなでは不便だと大人たちは考えたのか、あるときリフォームをすることになりました。そのときの大工さんたちの様子に少年はいたく感銘をうけ、建物というのはおもしろいなあと思うようになったことはまた別の話としてあるのですが、ともかくリフォームの結果として、我が家に(そのころはまだ比較的珍しかったであろう)IHのコンロが導入されることにもなりました。

で、リフォームが済んだあとで、そのIHのコンロをとりしきっていた電気屋のおじさんが、今度また改めておうかがいして、使い方を教えてあげましょうと言うわけです。きっと見慣れない機器でもありますし、便利な使い方もあるのだから、ぜひにぜひにと。そのうえ、よければご近所さんも呼んできてくださいねとさえ言う。それをわきで聞いていたわたしは、近所のひとが「こりゃ便利ね」つって興味をもってくれればめっけもん、みたいな商売っ気でもあるのかしらと想像しました。小学校への通学路の途中にある電気屋の、わたし自身顔なじみであったおじさんで、いまとなってはどこまで私心があったのかはよくわからない、もしかしたらまったき善意で言ってくれていただけなのかもしれないのですが、ともかく当時のわたしはそう思いました。乗り気なのか断りきれない雰囲気だったのかわからないけれど、うちの大人のほうもそんなに言うならと引き受けていた。

それから当日だ。夏休みのいつかだったと思います。山のなかだから、いまこのわたしが生活しているところよりずっと過ごしやすい。というか夏休みでひまだからクーラーのきいた家のなかでゲームをしているだけなのですが、そんな夏休みのある日が電気屋のおじさんがやってくる日で、その日の朝になってからようやく、じいさんばあさんもとうさんかあさんも、どうも都合がつかないなんていいやがるのです。もちろんご近所さんを呼んだりもしていない。みんなそんなに暇ではないのだ。だもんで、「しょうがないからあんたよう聞いとき」と申し付けられることになりました。長男やからね。ほかの子はまだ小さいんでね。当然そんなもん嫌でゲームしてたいんだけど、それこそ顔なじみのおじさんだし、さすがに当日になって断るのはかわいそうでしょ。材料だって、きっと用意しちゃってるにちがいない。そう思って、はいはいと、こちらも引き受けることになってしまいました。

そんでもって、おじさんが来る。このあたりからあまり記憶がないんですよね。ぼく一人なんですけど、みんなにも教えるんで、がんばります! みたいなことくらいは言った気がする。それにたいしておじさんは、がっかりしたような顔をちらとでも見せたのかどうか。すでにおじさんの顔を直視することを避けていたせいか、そんな機微がわからん小学生だったからか、ともかく覚えていません。なにを作ったのか、どう便利だったのかも覚えていません。おいしかったのかとかも覚えていないんだ。みんなに教えるんでとはいったもののもちろんとくにそんな気はなくて、あったとしてもとにかくおじさんをがっかりさせないことに気をとられていたようにおもいます。そもそもが、顔みしりといったって、そこまで親しくもない大人とふたりでいるなんて状況に落ち着けるわけもない。きっとおじさんのほうもそんなことはわかっていて、とはいえ小学生にそんな雰囲気を出すのも酷だろうと思ってくれていたんじゃなかろうか。いや、それともきまずくなっていたのは自分だけで、おじさんのほうはぜんぜん気にしていなかったのかもしれない。考えすぎだったのかもしれない。

そう、こうしていま思い出してみると考えすぎだったんじゃないかという気になってくるのです。そりゃあ、おじさんだって多少期待してたっておかしくない、自分がその立場ならそうだろう。でも、おなじく自分がおじさんの立場で、ときたま見かける無愛想な小学生がひとりでそこにいたのだとしたら、これはこれでおもろいやんけってなりそうな気がする。だからまあ、べつにいたたまれないことでも、きまずいことでもなかったのかもしれない。きっとそうにちがいありません。雨はあがったけど昼休みは終わってしまいました。